My personal history as regards implant dentistry
所長の村上は、ニューヨーク大学歯学部大学院に留学中の1983年5月、世界で初めて開発された骨結合型インプラントであるブローネマルク・インプラントに出会いました。それから現在に至るまでのインプラント治療への取り組みがインプラント専門誌に取り上げられました。
村上 斎 むらかみ いつき
ソフィアインプラントセンター
〒461‐0005名古屋市東区東桜1‐9‐19 常興会館4F
Academy of Osseointegration(AO)正会員・フェロー、日本オッセオインテグレーションアカデミー(JAO)会長、米国歯科大学院同窓会(JSAPD)会長、名古屋大学大学院医学研究科 非常勤講師、ニューヨーク大学歯学部元臨床助教授、日本補綴歯科学会専門医・指導医
年 | 略歴 | 年 | インプラント歴 |
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1977 | 大阪歯科大学卒業 | 1983 | ニューヨーク大学(NYU)歯学部 Advanced Education Program in Prosthodontics 留学中にブローネマルク・ インプラント・システムを学ぶ |
1979~ 82 | 瀧井歯科医院(兵庫県神戸市)勤務 | 1986 | NYU でブローネマルクシステム補綴コース受講 |
1982~ 85 | ニューヨーク大学歯学部・大学院留学 | 1987 | トロント大学で同システム外科コース受講 名古屋大学口腔外科でインプラント治療開始 |
1985~ 91 | さなげ歯科クリニック(愛知県豊田市)開設 | 1988 | Academy of Osseointegration(AO)正会員 |
1991 | ソフィアインプラントセンター(愛知県名古屋市) 開設 | 1997 | Academy of Osseointegration(AO)フェロー 「アトラスフローチャート- インプラント治療」 (クインテッセンス出版)を出版 |
1995 | 日本オッセオインテグレーションアカデミー(JAO) 設立 | 2012 | PIN System によるインプラント歯式のフォントをウェブ上で無償配布開始 |
Q1|先生がインプラント治療を始められた経緯についてお話しください。
ニューヨーク大学(NYU)歯学部に留学中の1938年に ブローネマルク・インプラントに巡り会いました。それまでは、自分がインプラント治療に携わることになろうとは、まったく考えていませんでした。
1977年に大阪歯科大学を卒業して、78年に国際デンタルアカデミー(IDA)の1年コースを受講し、故・保母須弥也先生のご指導の下、ナソロジーの基礎を含めてさまざまな知識や技術を教わりました。IDAでは大学の1年先輩で後にインディアナ大学に留学された岩田健男先生とも再会し、先生のレベルの高い診療に大いに刺激を受けました。その後、より系統的に勉強したいということを当時の勤務先の院長であり、恩師である故・瀧井源也 先生(神戸市開業)に相談したところ、米国留学を強く勧めてくださいました。そして1982年から1985年までの3年に渡ってNYUに留学し、最初の2年間は補綴の専門医課程、最後の1年間は歯科理工学の修士課程で学ぶことになりました。
当時の日本ではオッセオインテグレーテッドインプラントが臨床で用いられておらず、インプラントに対して懐疑的な見方が主流でした。そのため、瀧井先生から「インプラントには迂闊に手を出してはいけませんよ」と厳命され、その教えを胸に1982年夏に渡米しました。 ところが1983年5月に、 主任教授の故・Dr. I. Kenneth Adisman の決断により、NYU がアメリカ東海岸では初めてブローネマルクシステムを導入することになりました。当時この治療法について無知だった私は、当初、「なぜそんなリスキーな治療法を始めるのだろう」といぶかしく思っていました。
図 1 1986年の8月に NYU 歯学部を再訪し、トロント大学のDr. George Zarbが中心となって開催したブローネマルク システムの第1回補綴コースを受講した。
図 2 名古屋大学口腔外科の診療室で第1号患者(下顎無歯顎症例)の口腔内を診査する Dr. Clifford Kopp。左は上田 実教授(当時は講師)。
やがて最初の下顎無歯顎患者に6本のフィクスチャーが埋入されました。この手術ではブローネマルク先生が 右側に3本、NYU口腔外科の担当医である Dr. Steven Salmanが左側に3本を埋入しました。
治癒期間を5ヵ月ほど設けた後に補綴治療が始まり、 私の同級生で親友の Dr. Clifford Koppが当時42歳の患者、Carl Goodmanさんの治療を担当しました。その後、12月にフルブリッジを装着したとき、彼が興奮を隠しきれない様子でわれわれ同級生や教授陣をチェアサイドに呼 ぶのです。「この治療法はすごいぞ」と言う彼の説明を聞きながらみんなで患者さんの口腔内を確認し、ブローネ マルク先生の論文に書かれていることを、実際に目の当たりにしました。Goodmanさんは今もご存命で、インプラントブリッジも正常に機能しています。
これが私のインプラント治療の原体験です。
Q2|その後、どのようにしてインプラント治療をより深く追究されたのでしょうか?
1985年の秋に帰国し、自分でもインプラント治療を始めるために、翌86年の8月にNYUでブローネマルク・インプラントの補綴コースを受講しました(図 1 )。当時は補綴専門医である自分が外科手術を行うことは考えられず、受講後、口腔外科医を探し始めました。ところが、その頃は口腔外科医でインプラントに興味を持つ方は皆無に近かったため、やむを得ず自ら手術を行うことを決意しました。
国内ではノーベル・ファルマ日本株式会社(現ノーベル・バイオケア・ジャパン株式会社)が85年に設立されましたが、インプラントの器材を購入するには認定コースの受講が必要でした。当時は口腔外科か歯周病の専門医でなければ外科コースの受講資格がなく、私が手術を始めることは絶望的に思えました。そのため、NYUの補綴コースで講師を務められたトロント大学のDr. George Zarbに長文の手紙を書き、窮状を訴えました。 そして特例的に外科コース受講を認めていただき、87年2月にトロント大学で受講することができました。
そうして、友人の胸部外科医の協力のもとインプラント治療を始めようとしていた矢先に、診療中の私に一本の電話が入ります。それはまだ面識がなかった名古屋大学医学部口腔外科の上田 実先生からの電話で、「ブロー ネマルクシステムのインプラント治療を始めたいが一緒にやりませんか」というお誘いでした。
早速、名古屋大学口腔外科でインプラントチームを立ち上げ、上田先生の外科手術には必ず私が参加し、その後は私が補綴治療を担当する形式で初めてのインプラント治療に取り組みました。何度も上田先生の手術を見学しているうちに、自然に外科の手技を身につけることができました。
図 3 1986年11月に開催された明海大学(当時は城西歯科大 学)での講演の前日に、河津先生が Dr. Koppに東京を案内した。浅草寺雷門前での写真。中央が河津寛先生で左隣が筆者。
図 4 1999年3月に Palm Springsで開催された AOの第14回年次総会にて。学術委員として、口頭発表などを審査した。左は当時Executive DirectorだったMr.Bret S.Beall。
最初の患者さんの補綴治療では、来日中のDr.Koppに助言を受けたことも懐かしい思い出です(図 2 )。最初の5症例を完了した後には、厚生省(当時)に高度先進医療の認定を申請し、名古屋大学医学部附属病院として認定を受けることができました。
そんな中、IDAで知遇を得た河津寛先生からのご依 頼により、86年の11月には明海大学歯学部(当時は城西歯科大学)でDr. Koppの講演会を開き、私も通訳兼解説者として同行しました。彼は他にも東京、名古屋、神戸で講演を行い、オッセオインテグレーテッドインプラント草創期の日本に多大な貢献をしました(図3 )。その後、翌87年にはノーベル・ファルマ社の依頼を受け、母校の大阪歯科大学を含む数校の口腔外科で私自身がブローネマルクシステム紹介の講演ツアーを行いました。
1990年には、小宮山彌太郎先生が東京にブローネマルク・オッセオインテグレイション・センター(BOC)を開設されました。早々に見学させていただきました際に、先生は BOC開設までの検討事項や留意点などを事細かに教えてくださり、それらを参考にして翌91年に開設したのがソフィアインプラントセンターです。
数多くのメンターに恵まれて形成されてきた私のインプラント履歴を語るうえで、忘れてはならないのがDr.Patrick Palacciです。彼はボストン大学出身の歯周病専門医で、世界に8ヵ所あるBOCの一つをフランスで開設しています。これまでに十数回、マルセイユにある彼のセンターを訪れて素晴らしく手際の良い手術を見学したことで、随分勉強させていただきました。
今では約6,000名の会員数となったAcademy of Osseointegration(AO)も、もとはと言えばNYU の教授陣が50名ほどの会員数で発足させたローカルなスタディグループでした。その後、Dr.William Laneyを初代会長として全米の組織となり、私は88年1月に正会員として入会 しました。さまざまな委員会に所属したり、年次総会や学会誌で研究発表をしたことで97年には日本人で初めてフェローの資格を与えていただきました(図4)。入会後数年間は私が唯一の日本人会員でしたが、今では約250名の日本人が会員となっておられ、隔世の感があります。
95年には私を含めた4名の歯科医師が発起人となり、Japanese Academy of Osseointegration (JAO)というスタディグループを創設しました。会員数は約40名で、AOとは比ぶべくもない小さな会ですが、今に至るまで地道 に隔月の例会を開催し続けて、会の目的である「インプラント治療の正しい普及」のために活動しています。
96年11月に愛知芸術文化センターで開催した第1回 JAOフォーラムでは、ブローネマルク先生とワシントン大学口腔外科の Dr. Philip Worthington を講師に招き、歯科関係者と一般市民を対象にしてインプラント治療について解説していただきました(図 5 )。
初めてブローネマルクシステムに出会ってから約30年が経過し、インプラント治療を行う歯科医師、治療を受ける患者、インプラントメーカーの数も、随分増加しました。それにともない、インプラント治療の正確な記録や異なったシステムで治療を受けた患者の長期的管理が今後、より重要になってくると思われます。
そのため、三大歯式を用いて簡明にインプラントの部位や補綴様式を表現する方法(PIN[Panoramic Implant Notation]System)を考案し、2009年に本誌Quintessence DENTAL Implantology に発表しました。また、その意義を評価してくださった東京医科歯科大学大学院インプラント・口腔再生医学分野の春日井昇平教授に勧められ、2012年には Journal of Prosthodontic Research に共著で英語論文を発表しました。同科では採用を検討中で、さらに、同科の佐藤大輔先生のご紹介で昭和大学歯科補綴学講座ならびにインプラント歯科学講座にはすでに導入されています。
PIN Systemでは、例えば左下567にインプラントが入っている状況を のように視覚的に表現できます。専用のフォントをソフィアインプラントセンターのウェブサイトで無償提供していますので、多くの方にお使いいただき、コミュニケーションを円滑にすることに役立てていただければ幸いです。
図 5 1996年11月28日は、設立1周年を迎えた JAOにとって記念すべき日となった。講演にさきがけてソフィアインプラントセンターを訪れたブローネマルク先生一行。左から、筆者、ブローネマルク先生、Barbro夫人、Dr.Tomas Jansson、故・Dr. Ulf Nilsson。
Q3|今後のインプラント治療に対する展望、進むべき方向性について、先生のお考えをお聞かせください。
インプラント治療というものはあくまでさまざまな歯科治療の術式の一つであり、他の治療法との比較をしたうえで個々の患者さんに最適であると判断できたときにのみ、行うべきだと考えています。そのためには、インプラント以外の分野にも精通することが重要であると思います。
慎重にインプラント治療に取り組む
姿勢が、今こそ求められています
インプラント治療を手がけるにあたっても、最初は熟練した先生の見学 やアシストから始め、全体像をしっかり把握してから始めるべきだと思います。自分が行った治療が長期的に患者さんの人生にどんな影響を与えるかイメージできるようになってから始めても遅くはないですし、そのほうが結局は自分のためにもなります。
私は、インプラント治療では自分が納得できる術式しか行いません。たとえば、上部構造の維持形式で、スクリューかセメントかという問題があります。単独歯欠損では時としてセメントを用いることがありますが、複数歯欠損の症例では必ずスクリュー維持とします。
もともとスクリュー維持は一種のプリシージョン・アタッチメントであり、印象採得と技工操作さえ正確に行えば術者の技量の影響を受けにくいという利点があります。術者可撤式であることなども含め、スクリュー維持の利点のほうがセメント維持の利点よりもはるかに大きいと考えています。このため、私はインプラント上で支台歯形成を行ったこともありません。
一旦、支台歯形成を行ってしまうと、その後に残存歯数の減少やインプラント追加埋入に対応して補綴物を再製する必要が生じたときに、設計上の自由度が失われます。このような事態を避けるため、ワンピースタイプのインプラントも使用したことがありません。
ブローネマルク先生がオッセオインテグレーテッドインプラントを世に問われて以来、さまざまな新しい知見が加わりました。ですが、その中には必ずしも科学的根拠が十分に備わっていないものもありますし、すべての歯科医師が行えるとは言えないものもあります。一つ一つの知見を自ら吟味し、慎重にインプラント治療に取り組む姿勢が今こそ求められています。
当然ですが、インプラントを用いないという選択肢もつねに検討すべきです。言い換えれば、基本に立ち返ることが必要なのではないでしょうか。保守的な考え方かもしれませんが、患者さん、術者の双方に大いなる賢さが必要なインプラント治療に関しては、保守的であることで失うものは何もないと思います。
※クインテッセンス・デンタル・インプラントロジー第20巻第3号より許可を得て転載